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ヨーロッパ放浪はまだ(6)までしか進まない一方で自分自身はバンコク旅行を先日終えてきました。
今年の夏はどうもやることが多そうでツアーで3泊4日の短い期間ですが。
で、そのことも更新していこうと思います。
記憶の問題と絶対的な時間的にバンコクの方が早く完結しそうだけど…笑

で思ったのが、ブログの写真とか分量が多すぎるから進まないんじゃないかっていうこと。

もしかしたらブログとしては全然普通な量なのかもしれないけど、書くのがちょっとめんどくさくなってるのもまた一つの事実…。
というわけでもうちょい簡単に書こうかと考え中な今だったり…。

ヨーロッパ放浪(6)

フィレンツェ初日を予定を変更してピサで過ごしたのでこの日はフィレンツェ市内をがっつり観光。

前述のように、フィレンツェはこじんまりした街。けれどそう実感したのは実はこの日だった。

というのも、フィレンツェって名前聞いただけでイタリアってわかる。つまり自分の中で大都市ってイメージがかなり強かったんだよね。
実際地図を見た感じでもなかなか広そうって感じたしね。

けれど実際のところはサクサク歩きまわって半日ちょっとでだいたいのところは見ることが出来たと思う。

フィレンツェで有名な市場。朝7時くらいからやってるけどお昼にはどこも店を閉めてしまう。海外にきてよく感じることだけど、日本とはかなり時間の感覚が違う。

ここでイノシシの肉と美味しそうなハムを買って食べた。
イノシシは思ったよりもクセもなくとっても美味しかった。

そしてこれ。

フィレンツェ市内最大の建物、ドゥオーモ。
この大きさは本当に圧巻だった。
こんなに大きいのに外観の細部はとっても緻密に作られてる。
なんていうか、ニュアンスの違う、塵も積もれば山となる。

ここから市内を回り、

橋を渡り、も一度別のところで橋を渡り、
の前に橋の角にジェラート屋さんがあったんだけど、日本のるるぶか何か旅行誌でも紹介されてる名店らしい。確かにとっても美味しかった!

そして再び市内中心部に行き、ショッピング街へ。

日本人の芸術家の卵の方が道に絵を描いていた。
書き始めしか写真撮るの忘れてしまったけど、とても上手かった。

こうやって、自分のやってることでギャラリーを作ることができるのって、憧れる。

そんなこんなしてフィレンツェ編は終了。この次の日の午前中の電車で水の都、ヴェネツィアへ!

ヨーロッパ放浪(5)

ブログを書くこと自体が久しぶりという…


ローマから電車に乗ること数時間。
広大で古代遺跡も沢山あってきらびやかなローマとは一転。1つ1つの建物が落ち着いていて、こじんまりとした、花の都・フィレンツェに到着。

しかしこの日はローマで知り合ったやまださんの友達が案内してくれるということで、フィレンツェから1時間ほど電車で移動してピサへ。

そして目的地に向かって歩き出す。


駅から道なりに進んで橋を渡り待ち構えるは…




赤シャツ隊で有名なガリバルディ
この像の目の前にあるジェラート屋さんがめちゃくちゃ美味しかった!

町中に突如現れたピサ大学
ピサ大学ってヨーロッパ内でかなり上位の大学らしいのだけど、卒業生の顔ぶれを見て納得。
かの有名なガリレオ・ガリレイの母校です。

例の場所で実験をやったのも納得ですね。

そしてピサの駅から歩くこと20分弱…

うおぉ…。めっちゃ傾いてる。

ようやく辿り着きました。ピサの斜塔

知らない人いないんじゃないかってくらい有名な、ピサの斜塔
ちなみに現在の傾斜角は5.5°で傾斜の進行は止まってるらしい。

こんなこと書いてて思ったけど、暴風とか異常気象で倒れてもおかしくない建物なんだよなぁ、これ。
変な話、不謹慎ではあるけれど倒れる前に見れてよかった。笑



目の前で

地元の学生の間では、ピサの斜塔に学生の間に登ると卒業できないって伝説があるらしい。笑(定かではないけど確かこんなこと言ってたと思う)

僕らは、というと。


閉門時間に間に合わず、登れず。笑

この旅行、時間勝負にことごとく負けた気がする。。。

そして夜はピザ風のサンドウィッチのようなものを食べ(1人で食べきれないくらいのサイズで5ユーロくらい!)
締めに地元トスカーナ産のビールをいただきました。

日本だとビールが苦手な僕でもちょっと薄くて軽めのトスカーナビールはおいしくいただけました^^

そんな感じで、ピサの旅は終わりました。
次はフィレンツェのことを書きます。

想うこと。

現実の生活も大切にしなきゃいけない。

けれど、目の前に在る、非現実的で受けとめ難いが考えるべき問題もある。

毎日をなんとなく惰性で生きてゆく中で、危機感を持つ。こんなことでさえ大変なのに、更に問題なのは、危機感を持つって言ったって、頭では問題だってわかってはいるものの、目の前には実感を持てるような問題としてそれが存在してないこと。

ただ漠然とした不安と焦燥感だけ。

けど、今後を社会を担うのは僕らの世代なわけで。
大学生だしまだまだアホみたいなことばっか考えて、マジメなことからはなるべく目を背けていたいけど、
どうもそれだとちょっとマズいみたい。

やばいなぁ。だけじゃなくて、
いざって時にどうするか、ってことも考えておいたりするだけでもちょっとは違うかもしれない。

政治家だったり東電を批判したって彼らは数十年後はいないわけだけど、僕らはその時も生きているはずで。
文句ばっかダラダラと述べる前にまずは考える。

ニーチェならきっとこの状況を見て、
なんでもっと考えない?よくそんなに考えずに生きていられるな。
とでも言うでしょう。

ノルウェイの森

今回も『ヨーロッパ放浪』の続編ではないです。

というのも、iPhoneの下書きフォルダに(6)くらいまで保存してたのがなぜか全部消えてしまい・・・泣

少し今身の周りがバタバタしてるのでもうちょと落ち着いてからゆるりと更新していきます(それまでちゃんと覚えとかなきゃ!)

てなわけで、また本のことでも書きます。
ブログ書こう、って思った時にあるネタが毎回本関連なんだよね・・・w

ノルウェイの森のこと。

この本と出会ったのは浪人生活が終わり、大学の入学式までやることが何にもない3月のことでした。

もともとそんな本なんて読む習慣はありませんでした。
小学校の頃はそこそこ沢山読んでたけど、中高時代はほぼ皆無。
勿論浪人期も全くなし。
で、浪人終わり辺りに偶然北川景子のブログを読んでいたら、ノルウェイの森について書いている記事があって。

彼女の意味深な感想がもの凄く気になって、かつ有名なのに全く内容知らないことがちょっと恥ずかしくなって読んでみることにした。

まぁその頃の率直な感想としては、なんか掴みどころなくてよくわかんないけど、虚無感あるなぁ、って感じで。

そこから他の村上春樹作品読んだり、本屋で見て気になった本を読んでって習慣がついてそれなりに読書をする生活が身についたってわけです。

つまり、僕の読書生活のキッカケはよくよく考えてみれば北川景子だったっていうw

半年くらい前に映画やるからってことで再読して、その後映画も観て、そして今、また読みたくなってきた。

何を以って毎日を過ごし、
何を信じて行動するか。


自分とは誰で、
誰のために行動して、
誰にとっての自分なのか。

何が正しいのか
何が間違えなのか

何を想う
何を想われる

こういう、正解のないどうしようもないものに人間は振り回されて生きてるんだな、って思うと、僕個人的にはじっくり寄り添って付き合ってゆきたいな、って思う。

彩りというかスパイスというか

知らない世界について否定的になることは簡単
絶対に楽しいけど、無駄って言われたら確かに無駄なことを単なる無駄じゃんって否定するのも簡単。

けど、そういうものが、人生を彩るスパイスになると思う。
着実で安定な生活が悪いこととは決して思わないけど、ちょっと派手で不安定なものの方がやっぱり魅力だよね。

年をとればとるほど、気付かぬうちに保守的になってる自分がいて、それに気付いてからも尚、時間が経てば経つほど保守さは強まってゆく。と近ごろ思う。

まぁまぁそれに気付いただけよしとして、あとは大胆すぎるだろ、って自分でも思うほどの決断と、重たいその一歩をまず踏み出すだけ。


社会に出ちゃったら時間ないもんな〜って思うと、なんでも出来てしまう気がする笑

知りたいこととやりたいことが直結してるとそこのラインはシンプルに描くことができる

ロングスパンで考えなきゃいけない年頃になってきてるけど、ロングスパンで見えきらない部分があるならショートスパンを積み重ねてその先に結果見えたものをロングスパンでの目標とスリかえてもいいと思う。今はね。

…そろそろヨーロッパ放浪(5)を更新しなきゃ…w
(5)はフィレンツェです。…15都市分のまだ2都市っておっそいなー苦笑

では!

自分の世界を構築しているもの

今週のお題「心に残った本」

本を読むのが好きです。
あんまりカタイ感じの本よりかは、日本の現代小説家の少し柔らかい感じのが。

特に誰が好きかって言うと、
伊坂幸太郎辻村深月石田衣良森見登美彦
あたり。

まぁざっくばらんといえば、登場人物に個性があって、バラエティ感があって、愛があるような小説を書く人。

特に辻村深月の『スロウハイツの神様
なんてその全てを捉えてて説明しやすいんだけど・・・!


『まぁ、なんというか。あらゆる物語のテーマは結局愛だよね』

まさにそうだよなーって。

物語、つまり誰かの人生の一部のストーリーは決してその人1人のものじゃなくて、その人が好きになる誰かや、その人を好きになった誰かや、その人と繋がりを持った沢山の誰かと共有してるもの。
そこで、広い意味での愛がある。

愛なんて普段はちょっとこっぱずかしくて大きな声では言えないけど、実際のところ世界は愛が変えるものだと思う。


具体的になんだって言いにくいけど、誰かと繋がってるうっすらふんわりした空気の方が、殺伐ギスギスな空気よりも居心地がいいのと近くて・・・。

ゆるーいしあわせ

って感じかな?

それが今よりもっと、もっと少しずつでも増えていけば、もっとほんわり暖かい世界が待っているような、気が、する。


なんて、

「自分の世界を構築しているもの」

なんてでっかいタイトルつけてしまったけど、結局本のことほんの少しと、わけのわからん愛について話してしまってタイトルとはあんまり関連性が生まれなかったような。笑

まぁまた別の機会に「自分の世界を構築しているもの」をしっかり書いてみようと思います。


ヨーロッパ放浪の更新も溜まってるし、これも後回しにしてしまった・・・

こんな感じにして色んなものが溜まってって自分の首絞めるんだよなぁ。

21年生きて最近気付きました。